エマウジ

1347年、カレル四世が東方教会と彼の属する西方教会の融和のため、時の教皇クレメンス6世認可の下、クロアチア東部ダルマチアからスラヴ語で典礼を行っていたベネディクト派修道僧を招き入れ設立したもので、修道院は西方教会における唯一の非ラテン協会として、また当時中央ヨーロッパで最初に設立された大学でもあったカレル大学とも相俟って、8年後に神聖ローマ帝国の首都ともなるプラハの、如いては当時のルネサンス中央ヨーロッパの文化、芸術の中心地、情報集積都市としての一翼を担っていた。修道院エマウジの名は、カレル四世の最初の妻、ブルゴーニュ王の娘エマから採られた。1945年2月14日の誤爆の際に破壊された部分の復旧には1957年から12年かかり、その結果、中世の聖マリア教会の屋根から、厚さ40cmのコンクリートによるシェル構造で高さ32m非対称のオブジェが、合掌する左右の手、静謐な祈りのように突き出た、現在のシュールな景観ができあがる。
 誤爆後に 角萌え出る 惠麼氏ぞ

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