フラチャンスケー広場

王道を登り切ると、そこがプラハ城西正門前の広場、日本ならば皇居前広場にあたるプラハの街並みも一望できるフラチャンスケー広場だ。広場中央に立つ聖処女マリア像の円柱を中心に、正面には1742年ボヘミア王として戴冠したマリア・テレジア改装による堂々たる典雅なバロック様式の現大統領府プラハ城、左手には煌びやかなロココの大司教宮殿、背後には軒に七体の女神像が舞うバロックのトスカーナ宮殿、右手に二色の幾何学模様のあるルネサンスの建物は現国立ギャラリー・チェコバロック美術館であるシュワルツンベルグ宮殿と、錚々たる建築物が並ぶ。プラハ城は880年の頃、木と土の要塞として造られ、この広場を含む界隈に居住地が作られ、記録によると1320年にはプラハ城宮廷関係者の住居地として定着し、1360年神聖ローマ帝国皇帝・ボヘミア王カレル四世の治世には外郭に新たな城壁を巡らす。1541年の城下町の火事に端を発する城内王宮の塔も焼け落ちるという大火災後、初めてハプスブルグ皇帝でボヘミヤ王になったフェルディナンド一世以後は皇帝直轄の官営地として裕福な貴族階級の家族の居留地となる。プラハ城への出入りにはこの西正門以外に、22番市電のプラハ城駅(プラジュスキー・フラド駅)と王宮庭園へ至る北門、22番市電と地下鉄駅(マロストランスカー駅)へ降る東裏門があり、各門左右には衛兵が立ち、1時間ごとに衛兵交代もあり、この西正門では毎日正午に軍楽隊付きの華やかな交代儀式も行われる。このプラハ城正面西門向かい側には、それを見守るかのように、千年間別の道を歩むことになったチェコとスロヴァキアを、1918年第一次世界大戦終了後、チェコスロヴァキア共和国として改めて建国、独立させ、初代大統領になった哲学者トマス・ガーリック・マサリクの銅像が立って居る。
 千年を 一つに絡め 立つ偉人

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