プラハ城

870年の頃ボジヴォイ公により、ヴルタヴァ川を望む丘の上に築城されて以来、プシェミスル家の居城として、12世紀以降は歴代ボヘミア王の居城として、つかわれたきた。城主がその都度、新しい様式で改築を重ねてきたため、様々な時代の様式が歴史を超えて連なる、現在目にする壮麗なプラハ城ができあがる。最後の改築は、1743年ボヘミア王として戴冠したマリア・テレジアの手による。しかし内装に関しては、王様が変わるたび、大統領が変わるたびに、少しづつ手直しされ、ロココあり、復古調あり、アール・ヌーボゥあり、旧体制時代の機能主義あり、現代アートありと、これからも時代を次いで変化していく可能性をも秘めている、いわば生きているお城でもある。城内の部屋数はおよそ700。1918年チェコスロヴァキア共和国として独立後は、共和国大統領府となり、大統領の執務室もここプラハ城の一角にあり、世界で一番長く行政府として機能してきた一番大きな古城として、ギネス・ブックに綴られている。第一次大戦後の復興期は、中欧唯一の議会制民主主義のもと、産業力は交通関係・機械・電気・化学等の重工業やビール・繊維・印刷・ガラス・陶磁器等の軽工業を中心に世界七位、ヨーロッパ三位と言われるまでに躍進を続け、ドル、ポンド、スイス・フランと共にチェコスロヴァキアのコルナは世界通貨として使われるようにもなるが、やがて世界恐慌が始まり、ナチスによる征服、第二次世界大戦、ソ連軍による解放、ソ連の圧力による米国のマーシャル・プラン受け入れ撤回、1948年共産党政権、60年代の「人間の顔をした社会主義」へ向けてのプラハの春、それに対する1968年のワルシャワ条約機構軍の武力介入、ドプチェク第一書記の解任、ソ連型共産主義による正常化の時代、1985年ソ連党書記長ゴルバチョフのペレストロイカによる自由化への希望、そして1989年のベルリンの壁崩壊後の11月のビロード革命、1990年の自由選挙でのヴァーツラフ・ハヴェル率いる市民フォーラムの勝利、1993年からはスロヴァキア共和国との分離独立によりチェコ共和国となり、1999年3月のNATO加盟と、20世紀を歩んだチェコは、古くは15世紀のボヘミア王イジー・ポデェブラディの平和法典に基き、新しくは伯爵クーデンホーフ=カレルギーと日本人夫人光子の子息、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの構想に基く欧州共同体(EU)への加盟、そして2013年の大統領選挙からは、国民による直接選挙になるなど、新たな足取りで21世紀を歩みつづけている。

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