ミュシャの墓

花の都パリの印刷所でボヘミアンをしていた時、男役で一世を風靡した女優サラ・ベルナールの等身大ポスターを創り一躍有名になったのでフランス語でミュシャになってしまったが、チェコ語ではムハと読む。その後アメリカに渡りティファニーのデザイン、1918年チェコスロヴァキア共和国独立後は、無報酬でお札や切手のデザインも手がけ、晩年は青年時代からの念願だった連作「スラヴ叙事詩」を、プラハから南西40km程のところにあるズビロフ城に籠り完成させる。1938年ナチス侵攻後、民族主義者尋問リストの筆頭に挙げられ、その翌年79歳で亡くなる。プラハ城内聖ヴィート大聖堂にあるステンドグラスとはかなり違う最初の構想スケッチや、その生涯は、パーンスカー通りのミュシャ博物館で見ることができる。

詳細
オーディオ再生