ユダヤ人街

旧市街広場から聖ミクラーシュ教会の脇をまっすぐ北に伸びる並木道、通称ブランド通りとも呼ばれるパジージュシュカー通りの両サイドに広がる街並みが過去にユダヤ人街だった区域。プラハに居住したユダヤ人商人や金融業者の最古の痕跡は10世紀初頭、川向こうの城下小地区にあり、12世紀半ばに川を越えたこの場所に移住、時の王、ボヘミアをカトリック圏内の独立王国にしたオタカル一世の政令によりゲットーとして囲われ、以後1781年の皇帝ヨーゼフ二世の宗教寛容令の発令までユダヤ人の生活はこの9万3千㎡のゲットー内に押し止められていた。1848年以降には裕福なユダヤ人家族の出た後に、貧乏なチェコ人家族が入居し始め、スラム化も侵行著しく、遂に1890年都市計画によりシナゴーグ以外のすべての建物を取り壊した結果、当時最先端のアール・ヌーボゥ様式を含む様々な意匠の建築物が林立する、プラハの綽名の一つ「建築の博物館都市」に相応しい、現在目にする華麗な景観が誕生した。旧市街広場からお洒落なレストランやブランドショップが並ぶパジージュシュカー通りを歩くと、5,6分でヴルタヴァ川に達し、左手河岸にはフランツ・カフカが通っていた正三角形の破風があるカレル大学法学部、右手の河岸に降りれば大小のクルーズ船がずらりと舳先を連ねて停泊する船着場、正面には川に掛かるアール・ヌーボゥのチェコ橋、対岸のレトナーの丘の上には、かつて街を睥睨していたスターリンの巨大な立像を取り払って設置した電動式大メトロノームの振り子が、ビロード革命後の新しい時を唄うかのように左右にゆっくりと動いている。
 いはれなき 審判由縁に 変身し

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