ヴァルトシュテイン宮殿

ヴァルトシュテイン広場を挟んでレデブルク宮殿の真向いがチェコ共和国の現元老院、プラハの街にバロック様式で一番最初に建てられた建物、ヴァルトシュテイン宮殿で、この豪壮な宏大な宮殿が元は一貴族の私邸だったと云うから驚く。三十年戦争で活躍した伝説的な将軍アルブレヒト・フォン・ヴァルトシュテインは、もともとはプロテスタント側の出だったが、皇帝フェルディナンド二世側の将軍として、同時に支配者のハプスブルグ勢力とそれに蜂起したチェコ貴族との闘争の間で巧妙に立ち回り、この城下にあった二十以上の邸宅、館、家々を没収し、イタリアからスペッツァ、マリーニ、ピエロンニ、セブルゴンディら四人の建築家を呼び寄せ、自らの戦歴を顕彰する宮殿の建設に取り掛かる。しかしプラハ城王宮をも凌ぐかのような余りの宮殿の壮大さに、ハプスブルグ家から帝国の王冠すら奪われるのではないかとの危惧を皇帝に抱かせ、1634年東ボヘミアの街ヘブで暗殺されてしまう。壮麗な宮殿内部は現元老院、チェコ上院の議会場であるため一般には公開されていないが、映画アマデウスでも使われた野外演奏会やイベント会場にもなる広いバロックのフランス式庭園の方は、シーズン中に限り一般に開放され、自由に散策できる。庭園内の、トロヤ戦争をテーマにした天井画や壁画のある劇場の舞台並みの巨大なサラ・テレナや、ヨーロッパで最も素晴らしいマニエリスムの彫刻群と称されるギリシャ神話を素材にしたエイドリアン・デ・フリースのブロンズ彫刻、さらに一際人目を惹くのが庭の東の壁一面に施された鍾乳洞を思わせる見事な洞窟デザイン。ルネサンスが爛熟し、宗教改革の嵐が吹き荒れ、やがて新しい時代バロックが到来する前のマニエリスム期に流行したイタリア語で洞窟を意味するグロッタが語源のまさにグロテスクな壁に沿って、季節になるとその異様な黒い壁に映え一段と色鮮やかに紫陽花が咲き、入念に刈り込まれた緑の植え込みの迷路を抜けた先の屋内乗馬訓練場、現企画ギャラリーの庭には錦鯉の泳ぐ人口池も広がり、そこから外へ出ると、地下鉄と市電のマロストランスカ駅があり、そこから一つ上流のカレル橋を見ながらマーネス橋を渡れば、もうそこが旧市街地区川べりのヤン・パラフ広場。広場に面してチェコ・フィルの本拠地ドヴォルザーク・ホールのルドルフィヌムや左隅にヤン・パラフの記念碑のあるカレル大学哲学部が建ち、そのまま真っ直ぐ行けば4、5分で白い聖ミクラーシュ教会のある旧市街広場へ、左へ市電の路線に沿って行けば工芸美術館やユダヤ人墓地の壁がつづき一つ下流のクルーズ船乗り場のあるチェコ橋と通称ブランド通りのパジージュシュカ通りになる。
 グロッタに 紫陽花弾ける 石木菟師 

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