城下小地区

この小地区と呼ばれる城下町は、旧市街の次に人々が住み始めた区域で、1257年オタカル二世の政令でプラハ城周辺のより強固な防御の為に整備され、以後主に北方ドイツからの入植者たちの居住地となり、14世紀になるとカレル四世による、飢えた失業者救済対策も兼ねて築造された城壁により明確に区切られた地区として、特に三十年戦争後のバロック期に建てられた多様なテラス式庭園、宮殿、邸宅、館、教会等を中心に、中欧でも比類ない現在見られるような独特な雰囲気のある城下町の姿が形作られる。その失業対策の城壁は今も労働の対価としてパンが与えられたことに因んだ「飢餓の壁」の名で自然公園ペトシーンの丘に、フニクラと平行に、麓の市電の停留所ウーイェズドの交差点の、彫刻家ゾウベックの旧体制時代の犠牲者追悼群像碑が立つ階段の脇から、白い帯のように丘の上へまっすぐに伸びている。
 斑なり 綾織り行交ふ 踏みの糸

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