旧市街広場

 世界で最も歴史的趣に富む場所のひとつであるプラハの旧市街広場は、ゴシック、バロック、ネオ・ルネサンス、アール・ヌーボゥと、まさに多彩な建築のシンフォニーだ。しかも14世紀のカレル4世の洪水対策で街の地面が2m上げられ、その結果、現在の地下一階に、昔の一階、さらにその下に昔の地下一階があり、つまりこのあたりで地下にもぐれば、650年前のゴシック時代にタイム・スリップするというから驚きだ。広場は、11世紀には、この中央ヨーロッパを抜ける幾つもの主要な交易ルートの中継地として、種々雑多な物品が流通する商業の場として、祝祭行事やお祭りや騎士の馬上槍試合の開催地として、北はバルト海沿岸部から南は地中海を越え、遥か中近東にも知れ渡っていた。1621年にはハプスブルグ帝国に反旗を翻し、やがて全ヨーロッパが戦場となる、三十年戦争の切っ掛けとなった、プラハ城窓落し事件の首謀者、貴族、騎士、市民、27名がこの広場で首を切られる。その執行場所であった広場西側に聳える旧市庁舎の塔の前には、現在27つの十字と、首切り役人の剣と日付が地面に白く刻まれている。そこから塔の右脇を見あげると、旧市街で唯一第二次世界大戦で被害にあった旧市庁舎文書館の一部が塔の右横に残っている。塔の南東の角あたりに立つと、いま居る位置が簡単に目で確認でき、この広場から東西南北へ放射状に街が広がっているのが全体的に把握できる。北は、白いミクラーシュ教会と、通称ブランド通りの並木道パジージュシュカ通りで、ユダヤ人街へ。東は、二本の黒い塔のあるティーン聖母教会と、通称プラハのプチプチ青山通り・ツェレトナ通りで、火薬塔や市民会館がある共和国広場へ。南は、旧市庁舎真ん前の細い横丁路地・通称市場通り・メラントリホヴァ通りとスタヴォフスケ劇場のあるジェレズナー通りの二本が伸び。西が、ローヤル・ストリートの続きになり、隣接するまだ井戸もある小さな広場マレー・ナーメェスティーで突き当たりを左手に回り込み、商店街カルロヴァ通り、クレメンティヌム、カレル橋、ヴルタヴァ川を渡って城下小地区からプラハ城に至る。広場南のはずれ、ツェレトナ通りの手前の張出窓と壁画のある家の右隣の一角獣の家の正面には、アインシュタインのレリーフがあり、彼が相対性原理を書く一年前に一年ほどここで暮らしていたところで、プラハっ子によると、アインシュタインが相対性原理を考えたのはこのプラハでのことだということになる。
 相対性 互える家々 相対し

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