旧王宮

旧王宮はプラハ城内でも数少ない一番古い頃の建物の一つで、歴代ボヘミア王の王宮として機能していたが、ハプスブルグの治世に現在の大統領府のある一画へ移されたため、相対的に古い王宮、旧王宮となる。1612年、ハプスブルグの役所となっていたこの旧王宮で、三十年戦争の発端となるプラハ城外窓落し事件が起きたのもここだ。1621年のビーラー・ホラの戦いの後、対ハプスブルグのチェコの貴族を含む27名がこの王宮内の議会場で判決を受け、旧市街広場で首を切られる。11世紀ロマネスク期に最初に造られた当時は一階だったが、13世紀のオタカル二世から14世紀のカレル四世のゴシック期に二階が増築され、西側には全聖人礼拝堂も敷設される。内部が現在見る姿になったのは15世紀の終りのルネサンス期、ボヘミア王もかねたポーランド王ヴラディスラフ・ヤギェロ王が騎士の屋内馬上槍試合観覧のため、建築家ベネディクト・リードに競技場用として新たに三階の部分を改築させ、それが図らずも中央ヨーロッパで教会を除く室内空間としては最大のヴラディスラヴァ・ホールになる。
ホールは、1486年から1502年にかけ、建築家ベネディクト・リードがヤギェロ王の要請により造りあげた奥行62m幅16m高さ13mの柱のない肋骨梁が大輪の花のように咲いた夢のような大広間。内部の部屋々々はゴシックだが、広々とした四角い窓やエントランスにはすでに来るべきルネサンス様式が取り入れられ、騎士の馬上槍試合のみならず、聖ヴィート大聖堂での戴冠式後の披露宴の会場や、貴族の為の見本市の会場としてもつかわれ、現在も大統領の宣誓式、勲章の叙勲式など様々な公的なセレモニー、国際的なミーティングの晩餐会の会場としても機能しつづけている。
 靴蹄 こぞの色香ぞ いまもなほっ

詳細
オーディオ再生